産休中に実感した「社会とのつながり」 きっかけは、小さな偶然から
ゆるやかな坂道の途中にある扉を、自分の手で一つひとつ丁寧に開け、進んでいくーー市川さんが起業されるまでの道のりをうかがい、そんなイメージを思い浮かべました。
9年間勤めた会社を、第1子出産をきっかけに退職された市川さん。起業する計画も、当時はまだ全く考えていなかったのだそうです。しかし、後にPolaris設立へとつながる小さな流れは、このときからすでに形づくられはじめていました。
「子どもができても、私は正直、積極的にママ友を作る気もなかったし、地域の活動に強い思い入れがあったわけでもなくて。でも、ちょうど同時期に産休を取っていた同僚がいて、私を児童館などのコミュニティによく誘ってくれたんです。そこで出会ったのが、未認可保育園の中にあったとあるサークル。それが、私にとっては子育て支援グループとの初の出会いでした」
当初はそういった活動グループに対して苦手意識があったものの、実際に関わってみると「意外とおもしろかった」という市川さん。産休中で時間があったため、そのグループ内で電話対応や文書づくりなど、細々としたことを手伝うようになったのだとか。
「自分が役に立てることを少しでも提供していると、『社会とつながっている!』と実感することができたんですよね。まだ将来的な自分の道は見えていませんでしたけど、この地域で自分も子育てするわけだし、しばらくお手伝いしてみようかなと思ったんです」
ボランティア活動から、事業へ。 震災がきっかけで生まれた新たな「場所」
子育て支援、地域のコミュニティ・カフェ運営など、地域の活動に参加されるようになった市川さん。しかし、出入りするうちにさまざまな課題も見えてきたそうです。
「子どもの受験がはじまったりすると、今まで地域で活動してきた女性たちは活動をやめ、教育費のために働きに出てしまうんですよ。そういった状況の方を何人も見て、ボランティアの活動というものは、どこかで限界がきてしまうのだということを知りました。それもなんだか、寂しいしもったいないなと思って」
この活動を、きちんとした事業にできないか……もやもやと考えはじめたときに、偶然とあるビジネスプランコンペが開催されることに。市川さんは「地域における、多様な働き方を支える基盤づくり」というテーマを中心に据えて、このコンペに参加したのだそうです。プランは見事に採択され、非営利型株式会社Polarisが生まれることになりました。しかし、事業の立ち上げメンバーがミーティングを重ねるようになった最中ーー2011年3月11日、東日本大震災が発生したのです。
「震災当日、私は外部で研修をうけていて、すぐに子ども達を迎えに帰れなかったんです。でも、地域の友人がいろいろと助けてくれて。自分たちが暮らす地域に仲間がいること、つながりがあることの大切さを痛感しました。あのとき、今まで自分たちが支えられていたコミュニティの基盤や、大前提にあった価値観が大きく揺さぶられたんですよね。私も改めて、これからの暮らし方や働き方について考えるようになりました。結果的に、これからさまざまな人たちとつながりを真剣に築いていくためには、“仕事”を通じた関係づくりが一番対等なのではないかーーそう考えるに至り、“シゴト軸”のコミュニティを作ろうという決意を新たにしたのです」
今やらなければ、後悔する。震災後、市川さんはすぐ、地元・仙川に仕事をきっかけとして多様な人が集まれる「地域のワークスペース」を作ることに。このとき、Polarisの拠点となる「cococi(ココチ)」が誕生しました。
自分たちの価値を、どう伝えるか。 世の中のママたちが一歩を踏み出すきっかけに
「ずいぶん空気は変わってきましたけど、まだまだ、子育てしながら合間に働くなんて、自分にはできないと思っている女性もたくさんいるんですよね」と、市川さん。
かつてご自身がそうだったように、地域のワークスペースとしてスタートした「cococi」を中心に、「広報の仕事ができる」「データ入力だったら手伝える」など小さいところから、女性たちが一歩を踏み出すきっかけを作っていきたいのだといいます。
「起業を目指すというより、そのもっと手前。自分で、自分の働き方をデザインしていくということですよね。『私なんか…』と遠慮していたら、何もできないんですよ。みんな正直に、自分が欲しいもの――やりたいことはやりたい、と言わなきゃ。それを表明してはじめて、『じゃあどういう風に実現していく?』という話になっていくわけですから」
現在、Polarisの運営に携わるコアメンバーは9名。それに加え、ワークシェアのチームに登録している女性が約200名いるのだそうです。コワーキング事業の他、女性の就労支援や、企業との共創マーケティング事業など、活躍の場は現在も少しずつ広がっています。
「よく『ママでも、主婦でもできる簡単なお仕事です』みたいな仕事の紹介をされることがあるけれど、あれって本当に失礼だと思いませんか? 曲がりなりにも、社会人として10年、15年という経歴を持っている人たちなんですから。私たちは、自分たちができる仕事の価値をどう出していくかということを大切にしています。ママだから仕事をください、ということではなく、この人たちにお願いすれば自分たちのビジネスにプラスになると思ってもらわなきゃいけない。そうした仕事ができれば、自分たちも、相手も、みんなが心地よく、ハッピーになると思うんですよね」
自分がゼロから立ち上げたわけではない。 仲間から受け取ったバトンを、次の人へ
2人のお子さんを育てながら、ご自身の活動をはじめ、そして起業に至るーーそのときのご家族の反応は、どんなものだったのでしょうか?
「私の夫は前職の同僚だったので、私が退職前にどんな風に仕事に取り組んでいたか、よく知っていて。だから特に干渉はされなかったですね。専業主婦に収まる人ではない、ということは理解していてくれたようです。夫は仕事が忙しくてあまり家にいないのですが、幸い私の両親が近くに住んでいるので、頼れるときは助けてもらっていました」
ご家族だけではなく、当時出入りしていた子育て支援のグループ、地域コミュニティで出会った人たちの存在も大きかったと、市川さんはいいます。
「子どもを泣かせてまで働かなきゃいけないの?と、自問自答したこともありました。でも、それは親子がお互いに成長するために必要なことであって、子どもにとっても、母親がそうやってがんばって仕事をしていることが大切なのだと……私は周囲の人にそう教えてもらったから、いろいろなことを乗り越えてこられたと思っています。そうして誰かが私にくれたものを、今度は私が自分たちの事業を通じて、次の人に渡していきたいですね」